オーストラリア サーフィン情報

 
BEAU YOUNG  


ボー・ヤング

 

1976年生まれ。世界ロングボード2000年、2003年のチャンピオン。そして父ナット・ヤングは歴史に名を残すサーファーとして知られている。2004年5月、音楽活動とフリーサーフィンに専念するためにコンテストから引退を表明。音楽活動は2001年から始めオーストラリア最大のミュージックフェスティバル等で演奏、メジャーからリリースされたコンピレーションCDに数曲が収録されている。
 

サウンド・コンセプト
オーストラリアの大自然の恵みを受け、自然を糧とするライフスタイルによって生み出されるサウンドを、オーガニックサウンドと定義します。中でもボー・ヤングが暮らすバイロンベイはサーファーと60年代後期のヒッピーカルチャーがクロスオーバーしたビーチタウン、現在でもその名残を各所に感じる事が出来る美しい自然に囲まれた小さな町です。
ミュージック・キャリア


オーストラリン東海岸のNSW州とクイーンズランド州の境に近い海岸線の町バイロンで毎年イーストコースト・ブルース&ルーツフェスティバルが3日間に渡って開催される。野外フェスティバルが多いオーストラリアでもこのフェスティバルは最大の規模で、2004年はジェームス・ブラウン、ジャクソン・ブラウン、タジマハール、過去ピンクフロイド、ZZトップ等が出演。ボーは2回出演、ベンハーパーとも共演している。またワールドロングボードコンテストの会場を始め、コンテストで訪れたイタリア、フランス、フロリダ、カリフォルニアでもライブを行い絶賛される。プロサーファー、ワールドチャンピョンというよりプロのシンガーソングライターといった印象の方が強く残る程、ボーの歌は多くの心を掴んだ。

3年前からレコーディングを開始したが、ボーが満足出来るサウンドには至らなかった。

その間、ボーの曲はベンハーパーと共演したオーストラリア限定発売のバイロンベイのブルース&ルーツフェスのライブ盤や、ジャック・ジョンソン、Gラブ、ザ・ビューティフルガールズ等が収録されているコンピレーションアルバム、またサーフィンフィルム「ルミナリー」等に収録された。ようやく待ち望まれていたフルアルバムが完成した。

Wave of Change


「ウエーブ・オブ・チェンジ」は全曲オリジナル、ボー自身が作詞作曲をして歌いギターを弾く。レコーディングはバイロンベイとシドニーで行われ、オーストラリアを代表するバンドのミッドナイトオイルからドラムスとパーカッションが参加。またアレックス・ロイド等のサポートを得て完成した。サーファーが創り出すサウンドは一般のリスナーへも心地良い清々しい風を送り込む。そして自然の尊さを音楽を通じて伝える。

ジャック・ジョンソン、ビューティフルガールズ、ドノバンといったサーファーが音楽にアプローチして成功してきているが、対に本家本元のサーファーズ・サウンドの登場である。

Interview


―音楽を始めたのはいつ頃なんですか?

BY−ギターを弾き始めて歌うようになったのは18歳の時だから今から12年前で。最初はローリングストーンズやキャットスティーブンス、ボブディランなんかをコピーしていた。それから独学で基礎を勉強して作詞作曲するようになったんだ。

―音楽を創る時、サーフィンから得るインスピレーションが影響する事はありますか?

BY−サーフィンと音楽はとても似ていると思う。僕達は海の波のエネルギーでタップして、音楽の波でタップする。この素晴らしい地球に暮らせるから海の美しさ、平和、幸福を覚えるから曲が作れる。サーフィンは自分の中でとても大きな位置を占めていて音楽を通して作られている。僕は自分のサーフィンスタイルは音楽が築いたと信じている。だって本当に音楽ばかりやっているんだ。幸福、喜び、平和、、、全てがリンクしていると思う。サーフィンと音楽から同じバイブレーションを感じるんだ。

―初のアルバムですね。

BY−実はレコーディングを始めたのは4年前、ワーナー(オーストラリア)からアルバムを発売するところまで行ったんだけど・・・サウンドで合意が得られなかった。それとメジャーなレコード会社とのやり取りに少々嫌気が差していたんだ。そんな時、アンドリュー・キッドマンのヘルプもあり「インディーズでやろう」と決めた。大きな決断だった。僕はサーフィンではスポンサーに恵まれ2回もロングボードの世界チャンプになれた。でも音楽シーンではメジャーではない、独立、インディーズでいたい。このアルバムが完成するまでには膨大な時間がかかったけれど、学ぶ事も多く優れたミュージシャンとも出会えた。ミッドナイトオイルのドラマーのロブ・ハーストやアレックス・ロイドも参加してくれた。これは凄い事なんだ、僕にとっては。だってシドニーオリンピックの閉会式で「ソーリー」と書いたTシャツを着てアボリジニへの謝罪をしようとしたバンドのドラマーが参加するなんて僕にとっては夢、実現するとは思ってもいなかったけどそんな夢は見ていたよ。

インタビュー 2004年8月12日@シドニー・モナベール