オーストラリア サーフィン情報



PICO "ghost flowers "    

PICOはオーストラリアのシドニー・ノーザンビーチーズで生まれ育った根っからのサーファーだった。10代半ばで家出、ニューポートのビーチに寝泊りしているところを天才サーファー、デレクハインドが自宅に呼び入れた事から全てが始まった。

未成熟ながら独自のスタイルを持つPICOのサーフィンにデレクは本能的なインテンス(熱狂的な何か)を見出した。しかしPICOは10代に有りがちなドロップアウトする理論からコンテストサーフィンを嫌った。デレクは「何をしたい?」と尋ねると「音楽」とPICOは答えた。

デレクはオーストラリア最大手のリップカール社と話を付けた。PICOはバンドと共に世界プロサーフィン・サーキットを回り会場で演奏、アイルランドやイングランド、カリフォルニア、南フランスのホッセガーなどのクラブで演奏する機会も得た。気分を良くしたリップカール社はPICOのサウンドで新作ビデオ「ストンプ」を制作、CD同様プロデュースはデレク・ハインドである。

ちなみにデレクは70年代から80年代のトッププロサーファーであったが1980年南アフリカでの試合中、左眼を失明、その後はサーフジャーナリスト、コンテストプロデューサとして活躍している。アンドリュー・キッドマンの「リトマス」のカバーを飾っている現役サーファーでもある。

オーストラリア国内ではビデオ+サウンドトラックCDセットがサーフショップで販売され完売。本作デビューアルバム「ゴースト・フラワーズ」も販売されオーストラリア国内チャート入り、サウンドトラック部門では「タイタニック」を抜き1位、ニールヤングのカバー「オールドマン」は全豪シングルチャート入りしてPICOの名はオーストラリア全土に知れ渡った。

ここでPICO=サーファズ・ヴォイスというイメージが浸透した。1998年の事である。つまり普通ではないルートでPICOは音楽界でデビューを果たした。アルバムはフランス、アイルランド、イギリスでも好セールズを記録、1999年、2000年と2度のヨーロッパツアーを成功させた。デレク・ハインドのプロデュースとブッキングがPICOを世に送り出したと言っても過言ではなくデレク自身も詩を提供している。

2002年末
PICOはシドニーの人口増加を嫌いヤンバへ越す。PICOが田舎へ移った結果、バンドは解散、ギターのジェフはPICOを追うようにヤンバへ移り住み、ベースのクレイはザ・ビューテイフルガールズを結成。ヤンバには町はないが昔から有名なサーフポイントのアンゴリーで知られている場所だ。現在、曲作りとサーフィンに集中する日々を送っている。

2004年
かなりの数の曲がレコーディングされている。来年には再びデレク・ハインドがプロデュースしてニューアルバムが完成する噂もある。





PICO: Ghost Flowers

PICO "ghost flowers "

UD-1998  \2,500(税込み)