オーストラリア サーフィン情報









Michel Peterson surfboards
underground division




KEYO サーフボード  
   
KEYOサーフボードは8'11"以下にミジェットファラリーのSURFBLANKS社、9フット以上にDON BURFORD社の高品質フォームを使用しています。


オーストラリアのサーフィンインダストリーの中心シドニー・ノーザンビーチーズにある名門ファクトリーで、1本1本カスタムニーズに合わせて常に創作的にハンドシェープされています。

60年代〜70年代(67〜73)のアウトラインとソウルこそKEYOの礎、

all waves, all seasons, all levels
こそKEYOのソウルです。






リーフ、リバーマウスなどのポイントブレークで真価を発揮するスピードボード。

カリフォルニアのニーボーダー、スティーブ・リスが考案したフィッシュテールのツインフィンは、スキップ・フライにより完成。そして60年代後期にKEYOに直伝されオーストラリアで新化した。35年にも及ぶ歴史に支えられたモデル。

サーフィンムービー“リトマス”、“サーチンフォートムカレン”、“LUMINARY”等でこのFISHの魔力を参照されたし。ショートボードの上級者、ロングボーダーのためのスペシャルボードと言えるかも知れない。

Dimensions5’6”〜6’1”X21”〜22”X2 1/4”〜22”










「ロングのようにパドルは速く、ショートのようにターンが出来る」

60年代後期のショートボード化で素早く結果を出したこのモデルは、改良によりシングルでもトライでも安定したテイクオフとターンが可能。またショートボーダーのロングボード、ロングボーダーのショートボード的感覚でも楽しめる。ビーチブレークでは絶対的なプライオリティーを発揮する。

このボードは初心者、女性にも適している。センターフィン、サイドフィンのチェンジに敏感に反応するので、フィンを変える楽しみも倍増する。






Dimensions5’8”〜6’6”X20 1/4”〜21”X2 1/4”〜3”












優雅にグライドして波と調和する一方スナップを利かしたマニューバーが求められた1966年こそレトログライドのコンセプト。

ビデオ”Evolution”で見られるボードの大半がこのモデルである。絞ったテールは、掘れた波でのテイクオフとターンに強くラウンドノーズは安定したスピードを約束する。

オールマイティーな波に対応する美しいアウトライトとレール&ロッカーの逸品。









Dimensions6’7”〜7’6”X20 1/2”〜21 1/2”X2 1/2〜3”






photo from "GLASS LOVE"

Martin Wothingtonによるエアブラシのオーダーも可能。



Martin Wothington

シドニーアートスクールを卒業後、TV関係の仕事に就く。1971年TRACKSマガジンに載ったホットバタードの広告が縁でテリーフィッジェラルドと出会う。その年からパートタイムジョブとして、テリーがハワイ用に削ったサーフボードに独自の手法でエアブラシを描く。

同時期カリフォルニアでもサーフボードに絵を描く事が流行ったが、マーティンのアートはテリーフィッジェラルドのフルスピードで攻撃的なサーフィンスタイルと完全に重なり世界の注目を集めた。

KEYOから独立後、テリーのサーファーとしての成功は1971年に設立したオリジナルブランド「ホットバタード」の大成功を導いた。70年代から80年代にかけてテリーフィッツジェラルドモデル、
デレクハインドモデルなど当時は革新的でユニークでさえあったボードを一般的にした功績は見逃せない。

マークリチャードに影響を与えたツインフィンのフィッシュや1981年サイモンアンダーソンによって世界が変わったトライフィンも70年代後期にテリーが試みていたボードによる影響が強いと言われている。ホットバタードのドラフタ3というモデルこそスピードを追及した世界最初の3本フィンのサーフボードだと思う。

マーティンのデザインコンセプトはドラッグカルチャーの影響が強い。幻想的な色使いと時間をかけた細密画のようなエアブラシ、オブジェクトの大部分は自然である。波や太陽はもちろん、アルバトラスやペガサス、イルカやクジラ、ジュラシック期の恐竜は古典的でさえあるが、一目でマーティン作と分かる。ハワイのクリスラッセンやカリフォルニアのハービーフレッチャーと同じ地位にいながら以外にその名は知れ渡ってはいない。

2002年にはサーファーズジャーナル誌はマーティンを6ページ特集した。最近ではシドニーニューポートビーチのオーエンのリクエストでボブディラン、ジミヘンドリックス、ローリングストーンズのデザインを70年代後期のツインと71年エッグに描いた。
店置きボードにもかかわらず最初からSold Outの札が付いている。

2003年3月にはさらにグレートフルデッドのロゴを描いたエッグボードが完成したが店には置かれることはなかった。2003年6月オーエン兄弟がサーフショップをリタイアして店のオーナーが変わるとこれらのボードはノースアバロンの自宅に飾られるため移動された。

マーティンは限られたサーフボードのみデザインする。大部分はテリーフィッツジェラルドのホットバタードだがKEYOサーフボード、それにアンドリューキッドマンがシェープするボードにデザインする。それ以外は断っているようだ。1本エアブラシを吹くのに約6時間かかるので限界がある。


 


KEYOの歴史


KEYOサーフボードは、1958年、ダニー・キーヨによりシドニー・ノーザンビーチーズのマンリーで設立された。 1961年から本格的にサーフボードの量産に入る。現在シドニーから発信されるフォームなど原材料の主要ブランドであるバリー・ベネット、ゴードン・ウッド、スコット・ディロンなどのルーツは全てKEYOサーフボードにある。

当時のライダーはミジェット・ファラリー、ナット・ヤング、テリー・フィッツジェラルド、マーク・ウォーレン、コール・スミス(ナラビーン)、、、シェーパーはダニー・キーヨ本人、ボブマクタビッシュ、ジェオフ・マッコイ、ナット・ヤング、ディック・バン・スターレン、、、、、 常に新しいものを捜し求めるダニー・キーヨは、サーフボード生産での成功を手にすると、1969年からは自らの趣味が転じてホビーキャットの販売に本腰を入れ始めると1972年にKEYOサーフボードはダニーの元を離れた。

その後もセールボード、ウィンド・サーフィン、スノーボードなどで成功を収めながら現在もそれらの分野において現役として活躍している。

1998年、ダニーの娘、ベネッサーと結婚したシドニー・ノーザンビーチーズの名サーファー、ジョン・ギルは、このオーストラリアの名ブランドKEYOの名前の踏襲を許された。




Date of Birth
: 1968年3月10日
Height : 183cm
Weight : 71kg
Surfing Carrier : 名門KEYOサーフボードの後継者。シドニーノーザンビーチーズに生まれ育ち、70年代半ばにサーフィンを始める。80年代前半にロングボードに転向してシドニーで最も由緒あるロングボードクラブ、パームビーチボードライダースクラブで優勝。

90年代に入り1960年を一世風靡したKEYOサーフボードの
ダニーキーヨの元で修行を重ねる。ダニーの娘と結婚後、1997年正式にKEYOサーフボードを襲名。

クラシックタイプのロングボード、レトロブームの火付け役として脚光を浴びる。60年代のロングボード、67年から73年までのショートボートに基礎を置き、独自のフロテーションとロッカーとレールで「波とシンクロするサーフィン」のためのサーフボードを追求し続けている。 デレクハインドのボードコレクションを影で支えているのもジョンギルである。

現在のKEYOサーフボードは、ジョンギルを筆頭にスキップフライ直伝のシェープを伝授されたショーンワイルド、エッグボードの継承者ハイデンの3名で全て創られる。

最近のFISHボード流行をつくるフリーサーファー兼シェーパー。



KEYOサーフボードの歴史はオーストラリアが誇る多くの偉大なるシェ-パーと共にショートボードの進化の時代で中心的役割を果たした。Vボトムのショートボードは素早くサーフィンインダストリーを今の形態に変えた。KEYOサーフボードは創始者ダニーキーヨがホビーキャット生産に移行した1973年まで続いた。

ジョンギルのサーフボードはKEYOサーフボード史の中でも特に1969年から1973年までのスタイルを追求している。ジョンはダニーキーヨの義理の息子にあたるが、彼のボードはサーフィンが最も変化をした1970年初頭の時代のソウルとクォリティーという信頼感がある。

今日のサーフボード市場では、KEYOサーフボードの持つ「レトロ」の側面は重要である。KEYOサーフボードは僅かの厚さで、通常のボード以上のドライブを多く得る。“フィッシュ”はポイントブレーク、河口の波に最適だ。“エッグ”はビーチブレークに強い。どちらとも波を非常に捕らえやすいボードである。

現在のKEYOはコテージファクトリーで生産される。その理由はサーフィンのソウルを維持するためである。私は他のどのブランドより、むしろKEYOのボードにのる事を好んでいる。


                             デレクハインド



私は、1960年代後半、ヌーサのナショナルパークで、ボブマクタビッシュが“ファンタスティック プラスティック マシン”と呼ばれたKEYOサーフボードにのるのを見ていたのを忘れない。そして私も手に入れた。まさにアンリアルであった。

Vボトムはサーフィンとショートボードに革命をもたらした。
ダニーキーヨこそレジェンドである。

                      スティーブクーニー
                      ナラビーン オーストラリア