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Michael Peterson Photo :
Albert Falzon from 「Morning of the Earth」
マイケルは完全な芸術家だった。多くの面で彼はとても内向的だった。一度、トラックス誌のためにインタビューを取った事を今でもはっきり鮮明に覚えている。私達2人は車の中からロングリーフで海を見ていた。質問した内容はどーでもいいが、彼は何一つ答えなかった。
結果はテープに彼の声は何一つ録音されなかった。私はマイケルを、その時代、最もインテリで創造的なひとりであると捕えた。理由は、彼がした事は、彼が何者であるかはサーファーとしての能力を波の上で真の芸術家のように表現する事で成しえていた。ある人が絵を描き、それを見てあなたは「何て素晴らしい」と感銘するかも知れない。しかし描き手は絵については一切語らない。
あなたが何か尋ねても、彼は全く普通の人と変わらない。彼の全ては絵に表現されているから、説明する必要はない。これが本当に美である。それがマイケルだ。彼ははっきりしない。しかしサーフィンでは信じ難いほどクリエーティブだ。だから人々はマイケルの写真を見て何か他とは違う特別なものを感じているのであろう。
-Albert Falzon
デレク・ハインドとガス・ディッカーソンのインタビューには多少の解説が必要である。ラッセル・ルイス、ブラッド・ワイブルーはシドニーのディーワイローカル。ハードな波で知られているディーワイのライトを岩の奥からメイクする数少ないサーファーであった。当時のヒーロー、ニーボーダーのジェフ・クロフォードはマイケル・ピーターソンを尋ねて1100キロ先のキラまで行き、マイケルはシドニーに来るとディーワイのジェフの家に滞在してサーフィンをしていた。そして共にドラッグに潰れ始めた。シェーン・ヘリングはMPにも似た消え方をしただけにその衝撃は大きい。その一方、現在でのプロサーファーはシェーン・ヘリングの悲劇を忘れてはならない、とデレクは語る。
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Shane Herring
1991年シドニーのコーククラシックでケリー・スレーターを破り優勝。コンテストでのマニューバーが行き詰って当時、シェーン・ヘリングは再びスタイルを持ち込み未来を約束された。しかし予想とは裏腹に消えた、しかも瞬時にして消えた。
Surfer : Shane Herring
Photo : GLASS LOVE
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当時、マイケル・ピーターソンは紛れもなくキングとして知られていた。マイケルの最後の1矢が、ラッセル・ルイスからシェーン”ヒーロー”ヘリングへ世代を下っていった。シェーン・ヘリングはオーストラリアサーフィン界では驚異の子供として不滅であろう、それはマイケルがディワイに来た事から始まった血筋である。
シェーン・ヘリングを想い起こす事は将来を強く影響する。誰もがその事を知らなくてはならない。特にプロサーファーは埃の中へ消えていった人々について考える必要がある。そうしなければ愛するスポーツとしてのサーフィンは消え去る。
- Derek Hynd
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11フット、リッチー・パベルの手でシェープされたフラットロッカー、テールは小さく割れている。サイドフィンは]クロス、センターフィンは大きい。
Surfer : Derek Hynd
Photo : GLASS LOVE
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サーファーとして上手くなっていくシェーンを見る事は信じられなかった。彼について覚えている事と言えばターンも出来ずに真っ直ぐしか走れない、何て野郎だ、いつになったらターンするんだ、そんな記憶だった。しかし独自のスピードで自分のスタイルを築き上げていった。シェーンはサーフィンにおけるスタイルの重要さをもう一度見直させた。
そう、スタイルこそ常にサーフィンの重要な焦点で、ラッセル・ルイスやブラッド・ワイブルーといったサーファー達だ。とても大切な事だ。力を制御したり延ばしたり一塊に考えて欲しい。どのようにボトムでのポジションを制御して、そしてターンを延ばすか、そうすればボトムに沿ってグライド出来る。これが最高なんだ。
-Garth Dickenson
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映画「イマジン」のヒーロー、ガス・ディッカーソン。ステファン・スレターやベロニカ・ケイといったトッププロが世界中のパーフェクトウェーブにのりながら旅をする。そしてパーフェクトな波だけの日々に退屈を覚えて都会に帰って行く。一方フィルムメーカーのマーシャル・ハットリはガスに会うために南オーストリアへ行く。自給自足の生活、オンショアーの波でも「今までで一番の波だ」とサーフィンを享受するライフスタイルにマーシャルは心打たれてストーリーは終わる。かつてはクイックシルバーがソウルサーファーの代名詞になるとスポンサーしていたが、一切表に出ることなくガスは自分のサーフィンを追及し続けている。普段は子供達にサーフィンを教えるサーフスクールの先生を勤めたりしている。
Surfer : Garth Dickenson Photo : GLASS LOVE
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サーフィンが本来持つ精神とは違うものが参入してつまらないものになった事は確かだ。1980年代はサーファーの欲がサーフィンに上手く応用された。サーフィン文化全般に上手く適応しようとした時代だった。多くの人々が儲かり、その結果より多くの人達がサーフィン産業で働く機会を得て産業は成長した。その一方でサーフィンのソウル(魂)を失い始めた暗い側面も表れた。だから今もう一度、ルーツに戻る事が大切だ。例えばオスカー・ライトといったサーファー、彼は最高にファンタスティックだ、間違いない。ギャラリーをうろつき一般的常識を高めるより、文化をクロスオーバーさせる事の方が重要だ。ある意味オスカー・ライトのような者が必要だ。
自分のサーフボードに好きなデザインを描いたり、誰かが誰かのために描く場所、誰でも利用できる自然のアトリエがあれば最高だね。サーフィンは常に商業主義によって文化が独裁主義される事に反対する、そんなルーツが存在する。理由はサーフィン市場から得る利益を公平、公正に配当する必要があるからだ。サーファーのトップにい続ける必要も偉い人になる必要もない。
この10年は何も実を結ぶものがなく寂しささえ感じる。海岸線を波を求めて走り周りたい人、ただ絵を描きたい人、理由なんていらない、純粋にサーフィンしたい人、そんな人達は自分を信じてそして以前と変わらずやりつづける事が出来る。それを続けていれば、攻撃的になる事もないだろう。自分自身をより理解でき、自制が働くようになる。
- Martyn Worthington
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Martyn Worthington
1970年代後期にシドニーアートスクールに通っていたマーティンはホットバタードの広告を見てテリーを尋ねた。マーティンのコズミックなエアブラシは一世を風靡、カリフォルニアへも強い影響を与えた。近年、テリーのシェープにマーティンのエアブラシで70年代のアートが甦った。現在マーティンはセントラルコースから毎日2時間運転してシドニーモナベールのファクトリーに通い、ホットバタード、KEYO等の限られたボードにエアブラシを吹く。アンドリューがバイロンでシェープしたボードはマーティンのアートが拭かれジョン・ギルによりラミネートされた。
Photo : GLASS LOVE
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Mark Sutherland
絵を描きながらサーフィンをして年金生活者として数年を過ごした。マーク・サザーランドはアンドリューがウエーブ誌の編集長を務めている90年代初頭、誌を通して知り合い「リトマス」では問題のイラストを提供、また音楽面でヴァルダスティーをアンドリュー達と結成した。
Photo : GLASS LOVE
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