オーストラリア サーフィン情報















Surfer : Neal Purchase Jnr   Photo : Andrew Kidman

親父がグリーンマウントで2フットの波が3フット、4フットとサイズアップした時大騒ぎした事を話してくれた。当時、私は4歳でやっと泳いだり波打ち際で飛ばされて楽しむ事を覚えた頃だと思う。親父は私の後ろに立ち、私は波が描くカーブとそのスピードを見ては大騒ぎしたそうだ。チューブが何だか知るはずもなかったし誰からも教えられたわけでもない。ただ波の中にいる、それがどれほど驚きの経験だったか、決して忘れない。

親父はシェーパーだから身近に何でも教えてくれる。凄い事なんだ。豊かな知識を吸収して、様々な波を自分のスタイルでのる為にブレンドされていく、親父を通して解釈していった。新しい方法で波にアプローチするには、スピードとパワー、これがひとつになる事は凄い事だ。「リトマス」でデレク・ハインドを見て、様々なサーフボードは異なる経験につながる事を知り実践しようと決めた。デレクがスキップ・フライやKEYOが削ったキールフィンのツインフィンで描く凄まじいいスピードとラインに感動さえ覚えた。私は強い刺激を受けた。スクリーンを通して私のサーフィンに強い影響を与えた。

デーブ・パーメンターの大きなバックフィンと小さなサイドフィンのウィドウメイカーズというボードを試した。それはグライドとパワーという相反する動きの中で完璧なバランスを有している。波にのる事から多くの喜びを見つけた。このボードは深いボトムターンとチューブライディングに最適で、最速に「ダウン・ザ・ライン」する。

チャンネルボトムも最高に良い。個人的にはシングルコンケーブからダブルコンケーブでテールはボンザーみたいな深いコンケーブのサーフボードにのる事が多い。サイドフィンに関してはどれも満足出来ないのでデーブ・パーメンターのボードも自分でチューンした。バックフィンは様々なものを試しているが波に応じて異なるフィンが必要だ。特にバックフィンは波のパワーゾーンで重要だ。そして私はパワフルな波が好きだ。


個人的には、グーフィーフッターはここでは不利だと思っていた。しかし彼はそれを克服するどころか逆手にとってチューブライディングを次の次元にまで高めた。ここキラにはニール・パーチェス以上のサーファーはいない。 キラでのニールは特別だ。スーパーバンクが信じられないチューブを創り出す。ニールは一番のチューブを得る。泡が立つチューブの奥深く、そこは誰も到達出来なかったポジションだったがニールはそこを走る。バックサイドであの波をのる者はニール以外に誰もいない。



親父がサーフィンにのめり込んでいたなんて最高だ。サーフィンを教えてくれたもの親父だ。だからサーファーになることに最高の喜びを感じている。私達ファミリーはサーフィンを通じて特別な関係が築かれ、海を謳歌する事が人生の中心になっている。家族が一緒の時はいつでもビーチに行く。ボー(妻)もサーフィンを愛している。すばらしい事だ。皆がサーフィンを楽しんでいるのを見る事は最高だ。

- Neal Purchase Jnr




 

デーブ・パーメンター1961年南カリフォルニア生まれ。80年代現在のトッププロサーファー。1994年レラ・サンと結婚、98年までマカハで暮らす。シェープは1977年から始め、現在でもアンダーグラウンドな名シェーパートして玄人好みのボードを創造している。フィルムで使用されているウィドウメイカーは6’6”のスタビライザー。70年代テリー・フィッツジェラルドが考案したドリフト3がオリジナルである。



Photo : ozartsurf.com

 

 

南カリフォルニア、サンディエゴ、1960年代、スキップ・リス、スキップ・フライ、リッチー・バベル等が生み出したキールフィンフィッシュは、1990年代後期にシドニーのKEYOのブランドの元、ジョン・ギルとショーン・ワイルド等によって蘇った。そのきっかけは「リトマス」のカバー、デレク・ハインドがスキップ・フライの5’6”のツインフィンフィンッシュでスタイリッシュにサーフィンするシルエットである。1997年これを見てマロイブラザースは強い影響を受けたと聞く。また「シェルター」、「セプテンバーセッション」、「シッカー・ザン・ウォーター」、「第5交響曲」も「リトマス」、強いてはアンドリューから強い刺激を受けて完成している、と語ったのはテイラー・スティールである

Surfer : Neal Purchase Jnr
Photo : GLASS LOVE

 

 

ニール自身が大きな影響を受けたという「リトマス」でのデレク・ハインド。南アフリカのJベイ「リトマス」同様「グラスラブ」も同じロケーションで撮影されたと思われているが、実際はシドニーである。

 

 

Surfer : Derek Hynd
Photo : GLASS LOVE

 

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Chapter-1

Steve Pezman recounting a conversation he had with Dr Timothy Leary  in 1976

「1976年、ティモシー・レアリー博士との会話を回想するスティーブ・ペズマン」

Chapter-2
Neal Purchase Jnr


Rabbit Bartholemew on Neal Purchase Jnr
「ウェイン・ラビット・バーソローミューが語るニール・パーチェス・ジュニア」

Chapter-3
Curren Family

Joe Curren on his father Pat shaping him a board
「父パットがジョー・カレンのためにシェープしたボードについて語る」

Steve Pezman talking about Pat Curren
「スティーブ・ペズマン、パット・カレンを語る」

「父がジョーに削ったサーフボードにのるトム・カレン」

Tom Curren on his father Pat
「父パットについて語るトム・カレン」

「ジョー・カレンが語る父パットが削ったウッドボードにのるトム・カレンについて」

Chapter-4
Neal Purchase Jnr & Joe Curren

Chapter-5
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「アルビー・ファルゾンが語るマイケル・ピーターソン」

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「デレク・ハインドが語るオーストラリア流スタイルでのサーフィンの進化」

Garth Dickenson on Shane Herring and style
「ガス・ディッカーソンが語るシェーン・ヘリングとスタイルについて」

Martyn Worthington on the spirit of surfing
「マーティン・ワーティンソンが語るサーフィンの精神」

Chapter-6

Respect The Planet And The Creatures That Make It Their Home
「この地球と、ここを故郷とする創造物へ敬意を払う」